
前回のコラムでは、突発性難聴での入院体験から、行政の境界線を越えてグラデーションのように繋がる「医療インフラ生活圏」のお話をしました。
今回は、私の少し変わった子どもの頃の記憶を引っ張り出しながら、いまや世界に誇る日本のポップカルチャーの礎を築いた巨匠たちが愛した、この街の「クリエイティブな地歴」についてお話ししたいと思います。
巨匠たちがご近所にいた日常
実は、私の父は漫画家でした。
そのため、子どもの頃の私の周りには、今思えば教科書載ったり、レジェンドとして語り継がれるような漫画の先生方の影が、ごく当たり前のように存在していました。
父からよく聞かされたのは、あの『あしたのジョー』のちばてつや先生や、その弟で『キャプテン』の千葉あきお先生、そして富士見台に拠点を置く『タッチ』のあだち充先生たちと一緒に草野球をした思い出です。
漫画家さんたちが集まるその野球チームの名前は「ホワイターズ」と「ベターズ」。修正液のホワイトと、ベタ塗りのベタから取った、なんとも漫画家さんらしいウィットに富んだネーミングのチームで、のちの野球漫画の金字塔を生み出す巨匠たちが、練馬のグラウンドで本当に白球を追いかけていたというのですから、なんとも贅沢でのどかな時代です。
また、父は『ど根性ガエル』の吉沢やすみ先生と同じ貝塚ひろし先生(『父の魂』などで知られる少年ジャンプ初期の巨匠)に師事していたため、吉沢先生との食事にまつわるエピソードなど、当時の熱気溢れるお話をたくさん聞いて育ちました。
石神井の貝塚先生の家と、マリーのおばちゃん
そんな父と母に連れられて、子どもの頃に何度も遊びに行かせていただいたのが、石神井にあった貝塚ひろし先生のお宅でした。
お家に伺うと、貝塚先生のお嬢さんである「えみちゃん」や「もとみちゃん」が、小さな私にいつも本当に優しくしてくれたのを覚えています。
そしてそのお宅には、「マリー」という大きなワンちゃんがいました。
まだ子どもだった私は、その犬の名前が強烈に印象に残ったせいか、貝塚先生の奥様のことをずっと親しみを込めて「マリーのおばちゃん!」と呼んでいました。
巨匠たちが机に向かう凄まじい執筆の熱気と、一歩外に出れば「マリーのおばちゃん」が笑顔で迎えてくれるような、のどかで温かい練馬の日常。
かつての大泉や石神井、富士見台の周辺には、なぜか自然と漫画家たちが集まり、お互いの家を気軽に行き来するような、豊かで優しいコミュニティがごく自然に出来上がっていたようです。

街の成熟と、目に見えない「文化的資産」の価値
昔は石神井の貝塚先生のお宅に遊びに行っていた私が、不思議な縁あって、今は旧虫プロ(手塚治虫先生のスタジオ)やちばてつや先生のプロダクションがすぐ近くにある「練馬高野台」のエリアに暮らし、むかえ不動産鑑定事務所の助手をしています。
大人になってお散歩がてら近所を歩くたびに、この街の地面に染み込んだクリエイティブな地歴の深さに、改めて感動せずにはいられません。
不動産の価値を診るとき、駅からの距離や土地の形といった「目に見える数字」はもちろん大切です。
けれど、どれほど時代が変わっても消えることのない、こうした「そこに住む人たちが積み重ねてきた文化やコミュニティの歴史」もまた、その街のブランドを形作る大きな「目に見えない資産価値」なのだと私は信じています。
かつて巨匠たちが愛し、今もどこかおっとりとしたクリエイティブな気風が残るこの富士見台・高野台の空を見上げながら、私はこの大好きな街の歴史の地続きの上に、今こうして立っている幸せを噛み締めています。

(次回は、OZ、IMA、都営12号線。セゾンの隆盛と「武蔵野」の誇り、当時の街の活気と不動産の個性を紐解きます。お楽しみに!)

とん助手 (とんじょしゅ)
練馬育ち | 宅地建物取引士
練馬で育ち、この街の変遷や歴史(地歴)を肌で感じながら育った宅地建物取引士。「誰もが売り込まれずに、安心して本音を話せる場所を作りたい!」という自身の経験から生まれた強い想いで、皆様の相談窓口を担当しています。
地元の細かな道から学区のブランド価値まで知り尽くす生粋の練馬っ子ならではの視点で、難しい書類や手続きも優しくナビゲート。
ブログでは、地元の愛おしい記憶を言葉に紡いでいます。
時代とともに街の景色や役割が変わっても、その場所で人々が紡いできた「暮らしの記憶」に寄り添い続けること。
単なる数字(評価)を追うだけでなく、巨匠たちが愛したこの街の「文化の地歴」を誰よりも深く知る私たちの、それが大切なプライドです。
