
前回のコラムでは、富士見台・高野台の空の下、偉大な漫画家たちが愛した「文化の地歴」についてお話ししました。
今回は、いまや練馬区を縦横無尽に走り、都民の生活に欠かせない大動脈となった「都営大江戸線」と、そのレールが敷かれるよりも前にこの街に現れた、昭和末期のまばゆいきらきら感のお話をしたいと思います。
駅がないのにやってきた、セゾンのイケてる巨大施設
いま、歴史の年表を改めて眺めてみて「そういえばそうだった!」と膝を打った事実があります。
光が丘の巨大ショッピングセンター「光が丘IMA(イマ)」が開業したのは1987年。
しかし、のちに光が丘駅を通ることになる都営12号線(現・大江戸線)が開通したのは、1991年12月10日のことです。
なんと、駅ができるよりも4年も早く、あの巨大な街の象徴が先に誕生していたのです。
それより少し前、1983年には、東映撮影所の敷地内にショッピングセンター「OZ(オズ)」が開業していました。通っていた小中学校から徒歩5分、実家からも15分程度だった私は、このOZによく遊びに行っていました。建物の前面をチューブ状のエスカレーターが貫くその外観は、子ども心に強烈な「近未来」を感じさせたものです。
そこに今度は、兄弟のような存在として「IMA」ができる。
開放的なテラスを擁し、なんでも揃う画期的なその施設へ、私はたまにチャリンコを必死に飛ばして向かっていました。
なぜチャリンコだったのか。答えはシンプルで、まだ地下鉄が通っていなかったからです。当時の光が丘界隈に住む方々は、成増駅や下赤塚駅、あるいは石神井公園駅へと徒歩やバスで向かうしかなく、当時の交通事情は現在よりずっと不便で、電車自体の混雑も激しかったのを覚えています。
そんな交通の便が良いとは言えない場所に、これほど先駆的な巨大施設を次々とオープンさせた背景には、当時のセゾングループの圧倒的な隆盛、イケイケ感、そしてきらきら感がありました。
駅がない場所にさえ、新しい時代のライフスタイルを強引に作ってしまうほどの熱量が、当時の練馬には溢れていたのです。
「江戸」と言われても……練馬区民の小さな抵抗感
そんな鉄道空白地帯に、ついに1991年、都営12号線が開通します。
当初は光が丘ー練馬駅間という短いミニ路線でしたが、地元住民の「ついに電車が通った!」という盛り上がりは凄まじいものがありました。
そして、路線は練馬から新宿、国立競技場、六本木、大門へとどんどん伸びていきます。
それと同時に、「都営12号線」というどこか無機質だった名前が、当時の石原慎太郎都知事のひとことで(?)「大江戸線」という名称へ変貌を遂げました。
12号線という名前に慣れ親しんでいた私たち練馬区民は、この「大江戸線」という小洒落た響きに、実はちょっとした気恥ずかしさを感じていました。
心の中で、誰もがこうツッコミを入れていたはずです。
「だって、練馬は江戸っていうより、武蔵野ですから!!」と。
そんな練馬区民の密かな抵抗感を乗せながらも、2000年12月12日に全線開通した大江戸線は、今では震災の際にもいち早く復旧するなど、都民の最も頼れるよりどころとして日々頑張ってくれています。

中身は変われど、外観は残る。不動産が持つ「器」の魅力
振り返ってみれば、OZのチューブ状のエスカレーターも、IMAの開放的なテラスも、中に入る店舗や時代背景は変わってしまいましたが、建物の「外観」自体は今もさほど代り映えしない姿でそこにあり続けています。
時代とともに中身がアップデートされても、街の記憶を刻んだ「器」としての建物は残り続ける。これこそが、不動産という存在が持つ大きな魅力の一つなのだと感じます。
そしていま、私たち練馬区民にとっての悲願である、大江戸線の光が丘駅から大泉学園町方面への延伸計画が動いています。
2040年に向けて、土支田駅、大泉町、大泉学園町駅が開業することになれば、さらなる鉄道空白地帯が解消され、このエリアの不動産価値は間違いなくダイナミックに塗り替えられていくでしょう。
かつて駅のない場所にIMAを作ったセゾンの先見の明が、時を越えて、本当の意味で完成する日が近づいているのかもしれません。
新しさと懐かしさが同居する練馬の街。皆さんもぜひ、かつてのきらきらした記憶の面影を残すOZやIMAの「建物探訪」をしてみてくださいね。
きっと、街を見る目が少し変わるはずです。

(次回は、地域と文化の時差を起こした「練馬発・南会津行き!お面トレンドの仕掛け人はとん助手?」です。お楽しみに!)

とん助手 (とんじょしゅ)
練馬育ち | 宅地建物取引士
練馬で育ち、この街の変遷や歴史(地歴)を肌で感じながら育った宅地建物取引士。「誰もが売り込まれずに、安心して本音を話せる場所を作りたい!」という自身の経験から生まれた強い想いで、皆様の相談窓口を担当しています。
地元の細かな道から学区のブランド価値まで知り尽くす生粋の練馬っ子ならではの視点で、難しい書類や手続きも優しくナビゲート。
ブログでは、地元の愛おしい記憶を言葉に紡いでいます。
時代とともに街の景色や役割が変わっても、その場所で人々が紡いできた「暮らしの記憶」に寄り添い続けること。
単なる数字(評価)を追うだけでなく、巨匠たちが愛したこの街の「文化の地歴」を誰よりも深く知る私たちの、それが大切なプライドです。
