
前回のコラムでは、小さな子どもの大きな夢として、一挙にハンバーガー10個とパフェざんまいの1週間についてお話ししました。今回は、元々は東京いち大きな区だったのに、二つに分かれた練馬区と板橋区、そして、それぞれの区を代表する街・石神井公園と成増、さらに東武対西武の関係性を紐解いてみたいと思います。
熱血ガテン系の兄・板橋、成増、東武鉄道vsゆとり系の弟・練馬、石神井公園、西武
「不思議な不思議な池袋〜♪ 東に西武で、西 東武〜」 関東にお住まいの方なら、一度は耳にしたことがあるであろうビックカメラのあの名曲フレーズですね。
「東口に西武があって、西口に東武があるの、なんで?」と首をかしげた方も多いのではないでしょうか。実はこれ、東武東上線の前身である東上鉄道が先に西側へと駅を作り、その後に開業した武蔵野鉄道(現在の西武鉄道)が東側に駅を配置したからなのだそうです。
この2路線が相次いで開通した大正から昭和初期の頃、現在の板橋区と練馬区は分かれておらず、ひとつの「板橋区」として東京で最も広大な面積を誇っていました。その後、1947(昭和22)年8月1日に練馬区が分離・独立したわけですが、主に板橋区内を駆け抜ける東武東上線と、練馬区を東西に貫く西武池袋線。歴史の順序から言えば、東武・板橋が「たくましい兄貴分」で、西武・練馬が「ちょっとおっとりした弟分」といったところでしょうか。
当時の板橋区は、荒川沿いや志村・小豆沢周辺を中心に工場が建ち並び、労働者たちの熱気にあふれる「ガテン系」の街として発展してきました。一方で分離した練馬区は、第一種低層住居専用地域を広く指定して建物の高さを制限し、緑や農地、防災のための広大な余白を残す「ゆとりある街づくり」を選択したのです。同じ血を分けた兄弟でありながら、育ち方は実に対照的でした。
そんな両区の性格をダイレクトに体現しているのが、東武東上線の「成増」と、西武池袋線の「石神井公園」です。
どちらも池袋からのアクセスが抜群で、家賃帯や利便性の面から不動産探しでよく比較されるライバル同士。しかし、街に降り立ったときの空気感はまるで違います。
ガテン系のお兄ちゃんである成増は、かつて荒川沿いや区内の工場、物流の大動脈である川越街道を行き交う「ブルーカラー(現場作業」に従事する労働者)」の熱気とともに発展してきました。早朝や深夜を問わず、街を支える労働者たちの胃袋と明日への英気を養うために、安くて活気ある商店街や大衆酒場、24時間スーパーや飲食店が自然発生的にギュッと密集していったのです。
対する石神井公園は、都心で働くホワイトカラー(オフィスでデスクワーク)層や文化人が武蔵野の静寂と緑を求めて移り住んだ街。豊かな水辺に恵まれ、低層の街並みに上品な空気感が漂います。
働く人のリアルな活気が血を通わせる「ブルーカラーの成増」と、静かなゆとりと文化が息づく「ホワイトカラーの石神井公園」。同じ血を分け合いながらも、街の骨格も住人のグラデーションも実に鮮やかな対比を描いているのですね。
だから、この二つの街の性質を知らずに、例えば「立教大学(池袋)に通いやすいから」といった条件面のスペックだけで部屋を決めてしまうのは、少し危険かもしれません。街は生き物ですので、実際に歩いて肌に伝わる空気感をしっかり味わって選ぶことをおすすめしたいですね。

【成増vs石神井公園の位置関係とイメージ図】
東武東上線の「熱血な兄(成増)」と西武池袋線の「おっとりした弟(石神井公園)」。元は同じ板橋区だった2つの街の対照的なキャラクターと路線位置。
震災後の夜に感じた隣町の頼もしさと、緑の街に漂う「モスの侵略気配」
私自身、長年石神井公園駅を利用して暮らしてきた生粋の練馬っ子なのですが、忘れられない記憶があります。2011年の東日本大震災が起こった直後のことです。
当時、西武線が一時的に石神井公園まで運行できなくなってしまった時期がありました。その際、背に腹は代えられず成増駅を利用させていただいたのですが……改札を抜けながら「うーん、なんだか今回は成増に負けた気がする……」と、勝手に敗北感を噛み締めていたものです。
ところが、その後に始まった計画停電のときには、また違った光景を目にすることになります。 成増のあたりは対象エリアとして停電しており、夜にバスに乗っていると街全体が真っ暗で、背筋が寒くなるような怖さがありました。しかし、バスが境界を越えて練馬区に入った瞬間、パッと街灯や家の明かりが灯っていて、心底ホッとしたのを覚えています。当時の記憶をたどると、練馬区内は計画停電の対象から外れていたようで、インフラの強さに思わず胸をなでおろしました。
このように、住人同士が意識せずとも、お互いをどこか比較し合いながら暮らしているのがこの2エリアの面白いところだと思います。
最後にもうひとつ、成増と石神井公園にまつわる個人的な「都市伝説」を。 成増といえば、あのみんな大好き「モスバーガー」の創業の地(1号店)として有名ですよね。しかし、私がまだ子どもだった頃、なぜかここ石神井公園の狭いエリア内にモスバーガーが3店舗も密集していた時期があったのです。
「えっ、いくらなんでも多くない……?」と子ども心に不思議でならなかったのですが、今思えばあれは……東武・成増側からの静かなる『侵略作戦』だったのかもしれません(笑)。
性格も街の佇まいもまったく異なるふたつの街。東武と西武、板橋と練馬の切磋琢磨は、これからもこの地域の暮らしを面白く彩ってくれそうです。

都市計画の「意志」が紡ぐ、街の性格と住み心地の選択
今回の成増と石神井公園の比較を改めて俯瞰してみると、私たちが普段何気なく感じている「街の雰囲気」や「住み心地」の違いが、いかに都市計画の線引き(用途地域)や地域の歴史によってデザインされてきたかがよく分かります。
産業や商業を呼び込み、商店街や利便施設をギュッと凝縮させて賑わいと暮らしやすさを生み出した板橋・成増の「ガテン系=生活利便型」の発展。一方で、第一種低層住居専用地域などの規制によって建物の高さを抑え、あえて緑や農地、水辺といった余白を残すことで「閑静さと豊かな自然」を守り抜いた練馬・石神井公園の発展。
一見すると対立するライバルのように思える両者ですが、これはどちらが良い・悪いという話ではなく、それぞれの街が歴史の中で選んできた「都市計画としての意志」のあらわれに他なりません。
住まいを探す際、私たちはつい「池袋まで〇分」「家賃〇万円」といった条件面(スペック)の比較だけで判断してしまいがちです。しかし、どれほど交通の条件が似ていても、その土地に流れる文化や街の空気感、都市づくりのDNAは全く異なります。
条件の数字を揃えること以上に、自分自身の暮らしのテンポやライフスタイルが、その街の「意志」と調和しているかどうか──。街の空気感を直接肌で味わい、愛着を持てるカルチャーを感じ取ることこそが、納得のいく住まい選びにおける本当の鍵なのかもしれません。
みなさんが今お住まいの街には、どんな都市計画の「意志」や歴史が息づいているでしょうか?

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とん助手 (とんじょしゅ)
練馬育ち | 宅地建物取引士
練馬で育ち、この街の変遷や歴史(地歴)を肌で感じながら育った宅地建物取引士。「誰もが売り込まれずに、安心して本音を話せる場所を作りたい!」という自身の経験から生まれた強い想いで、皆様の相談窓口を担当しています。
地元の細かな道から学区のブランド価値まで知り尽くす生粋の練馬っ子ならではの視点で、難しい書類や手続きも優しくナビゲート。
ブログでは、地元の愛おしい記憶を言葉に紡いでいます。
歴史の背景や都市計画の「意志」によって、ひとつひとつの土地が辿ってきた歩みや性格は、それぞれ異なります。
単なるスペックの数字(評価)を機械的にはじき出すだけでなく、その土地が持つ地歴や地域ごとの個性を深く見極め、価値を見出すこと。
それが、この街とともに歩む「むかえ不動産鑑定事務所」の姿勢であり、プロとしての誇りです。
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