
前回のコラムでは、黄金期のイケイケな西武ライオンズと、父の影響で通った後楽園のジャイアンツ。沿線に息づく野球の記憶と、大人の特権で落ちたパ・リーグの沼、そして街と球団を結ぶ「推し獅子」の温かい魅力についてお話ししました。
今回も引き続き、野球のお話、圧倒的至近距離で街への愛着を育む西武ライオンズの戦略についてを深堀したいと思います。
『熱中時代』が繰り下げられた夜と、雲の上のスターだった昭和のプロ野球
子どもの頃、わが家にあるテレビはリビングに一台だけ、そしてそのチャンネル権は、100%ジャイアンツファンの父がガッチリと握りしめておりました。そんななか、私が毎週楽しみにしていたドラマが水谷豊さん主演の『熱中時代』 。日テレで21時から放送されるドラマだったのですが、これが野球中継の延長のせいで容赦なく遅れ、「今日も観られないのか……」と、重たい瞼とたたかいながら肩を落としたことが何度あったことか…… 。
とはいえ血は争えないものでして、大人になる頃にはすっかり父の遺伝子を受け継ぎ、立派な野球好きに仕上がったのです 。後楽園に神宮、そして西武球場へも足を運ぶようになったのですから人生わかりません 。
ただ、当時のプロ野球とファンの距離感は、今とはまるで違っていました 。 いまのプロ野球をみてみると、出番を終えたピッチャーがベンチの最前列に出てきて、声をからしてファンと一緒にチームの勝利を祈っていますよね 。自分たちと同じ熱量で一喜一憂してくれる姿には親近感が湧きますし、なんだかキュンとして嬉しくなってしまいます。
一方、昭和のプロ野球選手といったら、文字通り「雲の上のスター」 。 たとえば伝説の江夏投手なんて、自分がマウンドを降りるやいなや、まだ試合が続いているっていうのにそのまま飲み屋へ直行ですよ? 「あとの試合展開? 知らんね」と言わんばかりの豪快さ 。まさに職人ワールド全開だったわけです 。ファンとしても、遠くから眩しく仰ぎ見る「大人の興行」として、そこにはファンとの間に絶妙な距離感が漂っていたように思います 。
球場の「点」から路線網の「線」へ!西武が仕掛ける「圧倒的至近距離」
そうした昭和の空気を知る身からすると、現在の埼玉西武ライオンズが魅せるファンサービスには、もう目玉が飛び出るほどびっくりです 。
ヒーローインタビューの後に選手とファンが手と手を合わせる「ハイタッチ」に、勝利の余韻のなか、目と鼻の先でファンと触れ合いながら歩く「ビクトリーロード」 。とにかく間近で触れ合える演出がてんこ盛りなのです 。
球団が掲げる「圧倒的至近距離」そのものの魅力とはいえ、かつての松田聖子さんや美空ひばりさんの襲撃事件を思い出す昭和世代としては、「そんなに近くて本当に大丈夫!?」と勝手にハラハラして胃が痛くなってしまいます(余計なお世話でしょうけれど!) 。
そして、この球場という「点」の距離感を、全91駅の「線」へ広げた仕掛けこそが「推し獅子(おしじし)」プロジェクトです 。 鉄道路線というインフラに西武ライオンズの選手という魅惑のソフトをポンと投入して、それぞれの街に興味を持たせる―― 。 そこから球団ファンへと育てあげ、最終的には球場へ足を選んでもらうという循環を見事に作り出しているのです。
これぞ、長年にわたって交通と観光をセットで開発してきた西武鉄道ならではの、実にあざやかな「点と線の戦略」に違いありません!

改札口で育む「地縁的選好性」――西武鉄道が仕掛けた真の狙い
何を隠そう私自身、練馬高野台駅の改札口で高松渡選手のポスターを見かけて、「駅北側の地名『練馬区高松』とリンクさせている!」と勝手に解釈し、嬉しく膝を打ちました 。 こうしたまるでおやじギャグのようなちょっとした遊び心に出会えると、住んでいる街が一気に愛おしく感じられるから不思議です 。
不動産鑑定や住まい選びの小むずかしい現場では、駅徒歩何分といったハードな数値だけでなく、「地縁的選好性(ちえんてきせんこうせい)」という難解な言葉が使われます 。 この言葉は要するに、「この街、なんか好きなのよね」「ずっと住み続けたいわぁ」という、住民が抱く愛着や心理的な定性評価のこと 。
いまやプロ野球球団を所有する数少ない鉄道会社となった西武鉄道だからこそ、日常の改札口を「街への愛着を育む場」へと昇華させることができたのでしょう 。 朝の通勤ラッシュ、改札を通るたびに「我が街の推し選手」と目が合い、その活躍を親心のように見守る 。そんな日々の積み重ねが、気づけば心の中に「地縁的選好性」という名の愛着をしっかりと芽生えさせる――という西口監督の、いやいや西武鉄道の戦略が着々と進められているのかもしれません 。
単なる移動の手段でしかなかった無機質な沿線風景が、なんだか誇らしく、愛おしいものに見えてくる 。これこそが、まんまと西武の手のひらで転がされている私たちの、ちょっと誇らしくも愉快な日常の秘密なのです 。

(次回は、9月9日アップ予定。西武池袋線の東側エリアに、なぜか幼い私が抱いていた強い憧れ。その背景にあった「すべては池袋へ繋がっていた」路線の歴史と、モノクロの不動産チラシで作った「切符」が教えてくれた、現在の仕事に繋がる価値のグラデーションを振り返ります。どうぞお楽しみに!)
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とん助手 (とんじょしゅ)
練馬育ち | 宅地建物取引士
練馬で育ち、この街の変遷や歴史(地歴)を肌で感じながら育った宅地建物取引士。「誰もが売り込まれずに、安心して本音を話せる場所を作りたい!」という自身の経験から生まれた強い想いで、皆様の相談窓口を担当しています。地元の細かな道から学区のブランド価値まで知り尽くす生粋の練馬っ子ならではの視点で、難しい書類や手続きも優しくナビゲート。ブログでは、地元の愛おしい記憶を言葉に紡いでいます。
時代とともに球団のスタイルや街の景色が変わっても、そこに暮らす人々が抱く「我が街への愛着」と、紡がれてきた確かな物語に寄り添い続けること。
駅名やデータ、数字を追うだけでは見えてこない、地域と人が織りなす本質的な価値にまで敬意を払い、誠実に評価することこそが、私たちの変わらないプライドです。


