
前回のコラムでは、大泉の東映撮影所の思い出から、現在進行形で景色を変える外環大泉ジャンクション周辺の都市計画についてお話ししました。今回は、誰もが子どもの頃に一度は抱いたことのある「大好きな食べ物を、これでもかというくらいお腹いっぱい食べてみたい」という、小さくて大きな夢の記憶を紐解いてみたいと思います。
遠かった吉祥寺のマックと、拓銀前のモスを巡る「侵略」の謎
私の5歳下の弟には、切実な夢がありました。
それは、「マクドナルドのハンバーガーを一度に10個食べること」です。
私たちが子どもの頃、マクドナルドは今のようにどこにでもある存在ではなく、わざわざ吉祥寺駅まで遠出をしなければ出会えない、少し特別な存在だったのを覚えています。当時の子どものお小遣いからすれば、ハンバーガーを10個も並べるなんていうのは、まさに富豪の遊びのような絵空事でした。
そんな憧れのマックが、ついに地元の石神井公園へ上陸します。他地域に比べればかなり早めの進出だったように思いますが、当時のファーストフードは今ほど「安くて手頃」なものではありませんでした。提供スピードこそ早いものの、おいそれと日常使いできる価格帯ではなく、「よし、今日はマックへ行くぞ!」と少し気張って出かけるような、ちょっとおしゃれな外食だった記憶があります。
ちなみにこの頃、石神井公園の駅周辺には、なぜかモスバーガーが「3軒」も密集して営業していたという、ちょっとした謎の記憶が残っています。私は当時、西友の近くにあった北海道拓殖銀行(拓銀)の前あたりにあったモスによく行っていましたが、それにしてもあの狭いエリアにモスばかりが並んでいたのは不思議でなりませんでした。
のちに知ったことですが、モスバーガーの生誕の地は東武東上線の「成増」です。もしかしたら、ライバル路線である西武線の主要駅・石神井公園を侵略しようという、成増からの並々ならぬ戦略の思惑が隠されていたのかもしれない……などと、今になって邪推してしまいます。
ハンバーガー100円時代の到来と、光が丘・池袋を駆けたパフェ巡礼
さて、そんな少し高嶺の花だったファーストフードですが、時代を経てどんどんどんどん庶民の暮らしへと歩み寄ってくれました。世の中が変化し、ついにやってきたのが、あの衝撃の「ハンバーガー100円時代」です。かくして弟は、お小遣いを握りしめてマクドナルドへと向かい、サクッと当時の大きな夢を叶えることができたのでした。
弟がハンバーガーなら、私の夢は「パフェを1週間連続で食べ続けること」でした。
どれだけ食いしん坊な姉弟なのだと思われそうですが、実際その通りだったのですから仕方がありません(笑)。
私は中学生になった時、コツコツ貯めていたお小遣いをはたき、友達を巻き込みながら壮大なプロジェクトへと打って出ました。大泉のOZの中にあったイタリアントマト、光が丘のIMAの中にあった喫茶店(たぶんシャノアールだったでしょうか)、そして仕上げは池袋のパルコに入っていた不二家直営パーラーのミルキーウェイ。毎日コツコツと甘美なパフェを口に運び、見事にその夢を成し遂げたのです。

無意識のなかに構築された「鉄道沿線経済圏」の魔法
大人になって、この中学生時代の輝かしい「パフェ巡礼」の足跡を改めて地図上で俯瞰してみたとき、不動産の世界に関わる人間として思わずハッとさせられました。
私がパフェを食べて夢を叶えた場所──大泉の「OZ」、光が丘の「IMA」、そして池袋の「パルコ」。これらはすべて、当時のセゾングループ、つまり元を正せば「西武資本」のお店だったのです。
私たちは、自分がどこのお店を選ぶかを100%自分の自由意志で決めているように思っています。しかし地歴や沿線開発の視点から見れば、私たちは子どもの頃から、西武鉄道というインフラが敷いたレールのインサイド、つまり張り巡らされた「沿線経済圏」という手のひらの上で、心地よく消費活動をさせてもらっていたわけです。鉄道会社が駅をつくり、巨大な商業施設をつくり、そこへ素敵なテナントを誘致する。その仕掛けによって、住民のライフスタイルや「いつかパフェをお腹いっぱい食べたい」という子どもの夢の舞台までが、ごく自然にデザインされていく。これこそが、都市開発と不動産が持つ、目に見えない巨大な魔法なのだと感じます。
今ではすっかり中身が変わってしまったお店もあり、あの拓銀も今はもうありません。けれど、あの頃、西武沿線のきらきらした器の中で夢を叶えた記憶は、今も私の中に大切な街の愛着として残り続けています。
みなさんが子どもの頃に抱いた大きな夢の舞台は、振り返ってみると、どんな街のインフラの上に築かれていたでしょうか?

(次回は、元々は東京いち大きな区だったのに、二つに分かれた練馬区と板橋区、それぞれの区を代表する街・石神井公園と成増、頼れる東武対西武、兄弟の骨肉の戦いに迫ります。お楽しみに!)

とん助手 (とんじょしゅ)
練馬育ち | 宅地建物取引士
練馬で育ち、この街の変遷や歴史(地歴)を肌で感じながら育った宅地建物取引士。「誰もが売り込まれずに、安心して本音を話せる場所を作りたい!」という自身の経験から生まれた強い想いで、皆様の相談窓口を担当しています。
地元の細かな道から学区のブランド価値まで知り尽くす生粋の練馬っ子ならではの視点で、難しい書類や手続きも優しくナビゲート。
ブログでは、地元の愛おしい記憶を言葉に紡いでいます。
街が紡いできたこれまでの歴史を大切に。
時代とともに街の景色や役割が変わっても、その場所で人々が紡いできた「暮らしの記憶」に寄り添い続けること。
単なる数字(評価)を追うだけでなく、鉄道や商業開発が人々のライフスタイルに与えた影響までをも深く見つめる私たちの、それが大切なプライドです。
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